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大阪地方裁判所 昭和59年(ワ)6762号 判決 1988年6月27日

原告

得田吉喜

原告

得田京子

右両名訴訟代理人弁護士

喜治栄一郎

上原武彦

大深忠延

北岡満

斎藤浩

斎藤ともよ

寺内清視

林伸夫

溝上哲也

山崎昌穂

若林正伸

被告

大阪府

右代表者知事

岸昌

右訴訟代理人弁護士

豊蔵亮

右訴訟復代理人弁護士

松村剛司

被告指定代理人

小林真

山口一徳

木島勝

井上康彦

岡藤純一

主文

一  被告は原告ら各自に対し、それぞれ金八三六万八三三四円及び内金七六〇万八三三四円に対する昭和五八年一二月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを五分し、その三を被告の負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。ただし、被告が原告ら各自につき各金五〇〇万円の担保を供するときは、右執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告ら各自に対し、それぞれ金一四一六万八〇〇〇円及び内金一二一八万円に対する昭和五八年一二月一九日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  事故の発生

昭和五八年一二月一九日午後三時前ころ、原告らの長女得田麻希子(昭和五四年五月一七日生。以下「麻希子」という。)は、枚方市春日北町五丁目所在休耕田付近を近所の子供と二人で歩行中、野犬三頭(通称ボスと呼ばれる茶色の成犬一頭、胸が白い黒色の成犬一頭、紀州犬と思われる白色の成犬一頭)に襲われ、頸動脈に達する左頸部咬傷を含め頸部から両膝部にかけ全身に約二〇〇か所の咬傷を負い、同日午後三時ころ、前記休耕田内において、出血多量のため死亡した(以下「本件事故」という。)。

2  野犬取締についての被告の権限

被告は地方公共団体として、憲法二五条の理念に基づき、府民の安全、健康及び福祉を保持する責務を負い、その責務の一つとして野犬による脅威に対しても、府民の生命、身体への危害が現実に及ぶおそれがある場合は、その防止措置を講じ、もって府民の安全を確保する義務を負うものである。

すなわち、

(一) 憲法二五条一項は、「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定し、同二項は、「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」と規定している。これは自由権的人権の保障にとどまらず、国家権力の積極的な施策に基づき、国民に対し「人間に値する生存」を保障するものである。すなわち、同一項は国に対しすべての国民が健康で文化的な生活ができるように積極的な施策を講ずべき責務を課して国民の生存権を保障し、二項はその責務を遂行するための施策を列記したものである。

(二) 憲法九二条は、地方公共団体に地方自治を認めているが、この規定は、憲法二五条の生存権の保障規定は、地方公共団体の権限ないし作用についても、同様な趣旨で適用さるべきものであることを当然の前提にしており、これをうけ地方自治法二条三項は、「地方公共の秩序を維持し、住民及び滞在者の安全、保健及び福祉を保持する。」(一号)、「保健衛生、風俗の純化に関する事項を処理する。」(七号)、「防災、り災者の救護を行うこと」(八号)を地方公共団体の責務として規定している。

(三) 狂犬病予防法は、一条において、狂犬病の発生を予防し、そのまん延を防止し、及びこれを撲滅することにより公衆衛生の向上、及び公共の福祉の増進をはかる旨規定しており、同法施行令及び施行規則が存する。大阪府もこれらをうけて、各種の内部規程、要領などを制定している。

これらの法令に基づいて、大阪府では獣医である職員を狂犬病予防員に任命している。

(四) 大阪府「飼い犬の管理に関する条例」(昭和四五年三月一二日大阪府条例第五号。以下「条例」という。)は、昭和四二年一月二〇日付環乳第五〇〇五号各都道府県知事宛厚生省環境衛生局長通知に基づいて各都道府県で制定された犬による人身咬傷事故等を防止するための条例の一つである。条例の施行規則も制定されている(昭和四六年二月一七日大阪府規則第七号)。

条例一条は「この条例は、犬による人畜その他への危害………を防止し、もって府民生活の安全、及び公衆衛生の向上に資することを目的とする。」と規定し、同七条は「知事は、第二条の規定に違反して係留されていない飼い犬があると認めるときは、その犬を捕獲し、抑留することができる。」と規定し、更に同八条は「知事は野犬(飼い犬以外の犬をいう。以下同じ。)が人畜その他に危害を加えるおそれがあり、かつ通常の方法によっては捕獲することが著しく困難であると認めたときは、区域及び期間を定め、薬物を使用してこれを掃討することができる。」と規定し、これらの業務を前述の予防員に加えて、指定職員を任命してこれにあたらせている。

これらにより、大阪府知事には、飼い犬や野犬に対し捕獲等を行い、野犬については掃討する権限が与えられているのである。

3  被告の作為義務とその違反

(一) 大阪府下における野犬による咬致死傷事故の状況

昭和五七年度における大阪府下の野犬の咬致死傷事故数は三九一件で全都道府県中最多である。昭和五八年度大阪府は約八〇〇〇頭の犬を捕獲したが、数万頭にのぼる大阪府下の野犬等に対する対策としては極めて立ち後れている。

(二) 野犬取締のための大阪府の体制と職員数

(1) 大阪府衛生部食品衛生課獣医務係内の犬管理指導所は大阪府下全域(大阪市、堺市、東大阪市を除く。)における狂犬病予防法に基づく権限を行使して野犬の取締に従事し、捕獲等のほか予防員が銃砲刀剣類所持等取締法に基づく許可を得て麻酔銃で野犬を掃討する。しかし、職員は予防員(専任)三名と若干の技術員がいるだけであって、その数は少ない。

(2) 大阪府衛生部地域保健課管轄の各保健所は、野犬取締の最前線であるが、予防員のいないところもあり、他の職員も他の仕事のかたわら野犬取締に従事するのみである。

(三) 枚方市春日地域における本件事故犬の徘徊と取締の実態

(1) 本件咬死事件を惹起した野犬三頭のうち、通称ボスと呼ばれる茶色の成犬一頭と胸が白い黒色の成犬一頭は、昭和五六年ころから枚方市春日地域及びその周辺を野犬として徘徊し、ときには子供を襲ったりして近隣住民を恐怖に陥れ、その都度住民から枚方保健所に通報がなされていた。

(2) 昭和五八年一二月七日ころ、枚方市春日元町二丁目三九番地一七に居住する田辺泰雄の次男豊浩(当時五歳)が前記黒犬に臀部を咬まれ、家人が枚方保健所にその旨電話したところ、「葉書を出すように」と言われ、葉書を出すと、保健所員が来訪したものの、「毒餌か檻が必要である」と言うにとどまった。

(3) その二日後、今度は前記田辺の三男勝利(当時四歳)が右黒犬及び通称ボスに襲われ、二一針も縫う重傷を負った。そこですぐ家人が保健所に連絡したところ、保健所から三名の職員が来て、当該野犬二頭を監視し、その二時間後に麻酔銃をもった二名の府職員が来て、黒犬に対し麻酔銃を発射したが、取り逃がした。

(4) 本件事故当日は月曜日で枚方保健所管内の野犬の定例捕獲日であって(月・水・金が定例捕獲日)前記犬管理指導所から枚方保健所に技術員が来る予定であった。そこで保健所ではその来所をまって、朝から野犬取締の方法について相談が行われた。

午前九時三〇分ころ、前記田辺方から枚方保健所に、前記通称ボスと黒犬の二頭が田辺宅の裏の休耕田でねそべっている旨の電話通報があったので、保健所員三名が通称ワッパといわれる捕獲道具をもって現地に赴いたが、到着時には野犬の姿はなかった。

また、同じくその日の朝、同市野村地域の住民からも枚方保健所に右野犬を見かけた旨の電話通報があったが、保健所は「その野犬は一二月一二日に銃で撃ったし、春日にいる野犬が野村までいっているのはおかしい。」と取り上げなかった。

(四) 被告の責任

(1) 大阪府下の野犬による咬致死傷事故発生を防止するには、野犬に対し取締権限を有している知事がその権限を行使して、野犬を捕獲、掃討する以外に有効な方法はない。

(2) 被告は、狂犬病予防法によって制度化している予防員や、犬管理指導所を野犬取締のために活用し、あわせて条例に基づいて野犬取締にあたらせているが、その体制は貧困である。しかし、現在のような貧困な取締体制を改善するのは容易である。

(3) 本件事故を惹起した野犬は以前から近隣を徘徊し、本件事故直前に咬傷事故を起こしており、事故現場付近における住民に対する危害発生の蓋然性は極めて高いものであった。そして、枚方保健所にもそのことに関する通報はたびたび入っていたのであるから、被告は野犬によるこれ以上の被害を防止するため、定例捕獲以外に特別な捕獲、掃討の施策を講じる必要があったにもかかわらず、本件事故に至るまで前記のような状態を放置した。なお、本件事故後、枚方保健所管内において大がかりな野犬掃討作戦が行われたが、事故前にこのような措置をとることは十分可能であった。

(4) 以上によれば、事故現場付近における野犬による咬致死傷事故の発生の蓋然性は高く、このような状況下では大阪府知事は条例上の権限に基づき、野犬取締体制を充実させ、捕獲、掃討等の適切な措置をとり、これにより「犬による人畜その他への危害……を防止し、もって府民生活の安全及び公衆衛生の向上させる」という条例の目的を達成すべき義務あるいは狂犬病予防法による作為義務が生じていたにもかかわらず、これを放置していたため本件事故が発生したものであり、この不作為による違法は地方公共団体である被告の公権力の行使にあたるから、被告は国家賠償法一条により、本件事故による損害を賠償する責任がある。

4  損害

(一) 麻希子の逸失利益

麻希子は昭和五四年五月一七日生まれの健康な女子であり、事故当時満四歳であった。昭和五七年簡易生命表によると、四歳女児の平均余命は76.26年であり、本件事故がなければ、一八歳から六七歳まで就労可能であるから、産業計・企業規模計・女子労働者一八歳の平均収入(昭和五七年賃金センサス)からその四割を生活費として控除して、得べかりし利益の現価を新ホフマン式により計算すると、約金一五二六万円となる。原告らは麻希子の両親であって、これを二分の一ずつ相続した。

(計算式)

1,438,700(年間所得)×(1−0.4)×17.678(ホフマン係数)≒15,260,000

(一) 原告らの慰謝料

原告ら夫婦には、長男直喜(昭和四九年九月二〇日生)と麻希子の二子があり、円満な家庭生活を送ってきたものであるが、四歳というかわいい盛りの子が突如野犬に襲われ無残な最期を遂げたことは、両親としては到底忘れることのできない衝撃であり、その精神的苦痛は計り知れない。これを慰謝すべき金額としては、各自金五〇〇万円を下らない。

(三) 葬儀費用

麻希子の葬儀費用は金五〇万円をもって相当とし、原告らが二分の一ずつ負担した。

(四) 弁護士費用

本訴を提起遂行するためには、弁護士を委任せざるを得ず、弁護士費用として以上(一)ないし(三)の合計額の一割相当額(各原告一二八万八〇〇〇円)をもって本件不法行為と相当因果関係があるものとして請求する。

5  よって、原告らはそれぞれ、被告に対し、国家賠償法一条に基づき、前記損害の合計である金一四一六万八〇〇〇円及びそのうち弁護士費用を除く金一二八八万円に対する本件不法行為の日である昭和五八年一二月一九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否等

1  請求原因1(事故の発生)のうち、麻希子が原告らの長女であって主張の日時ころ主張の場所において死亡したことは認め、その余は不知。

2  同2(野犬取締についての被告の権限)について

(一)(二)については憲法中主張の条文のあることは認めるが、その余の主張は争う。憲法二五条はいわゆるプログラム規定といわれ、具体的内容をもつ請求権を規定したものではなく、また、この規定によって地方公共団体が原告ら主張のような具体的義務を負うものではない。したがって憲法九二条によって地方公共団体について具体的請求権ないし義務は発生しない。

(三)(四)は認める。

3  同3(被告の作為義務とその違反)について

(一)の主張は争う。大阪府下(大阪市・堺市を除く)における昭和五七年度の野犬等による咬傷件数は二三八件であり、大阪府下(大阪市・堺市・東大阪市を除く)における昭和五八年度の捕獲犬数は五二一八頭である。

(二)の(1)のうち、犬管理指導所が主張のような職務に従事していること、その職員である予防員が三名であることは認めるが、その余は争う。職員には予防員のほか予防技術員一八名がいる。なお、食品衛生課獣医務係にも予防員八名がいる。

同(2)は争う。各地保健所には一ないし二名の予防員と二ないし三名の指定職員がいて、予防員のいないところはない。ちなみに、枚方保健所には予防員二名(課長職の予防員を加えると三名)、指定職員二名がいる。

(三)の(1)は争う。本件事故を惹起した犬を明確に特定し判定することは困難である。なお、枚方保健所は住民から野犬についての通報があるたびに出動するなどできるだけの対応はしていた。

同(2)のうち、田辺方から通報があり保健所員が来訪したことは認めるがその余は否認する。主張の日より前に田辺方から枚方保健所に「野犬がいる。」との電話による通報があったが、捕獲が円滑・適確に行えるよう犬の徘徊する場所を図示してほしい旨を伝え、田辺方からの場所を図示した葉書による通報があったため、これをうけて昭和五八年一二月一三日午前中枚方保健所予防員が現地に出動し調査・探索にあたったが発見できず、現場の地理的状況から捕獲檻または薬殺による方法が適当であると判断し、田辺夫人にもその旨を説明し、設置場所等を決めて欲しい旨依頼した。

同(3)については、田辺勝利が野犬に襲われ受傷する事故があったこと、枚方保健所の職員が出動したこと、その後野犬に対し麻酔銃を発射したことは認め、野犬を取り逃がしたことは否認し、その余は不知。同年一二月一五日午前一一時三五分ころ、枚方市春日元町の住民から田辺さんの息子さんが黒犬に咬まれ病院に行った旨の通報が枚方保健所にあり、ただちに同保健所予防員が出動した。現場付近で予防員は住民の指摘により黒犬と茶色の犬を確認し、住民から襲ったのは黒犬であるとの説明があったので、すぐに犬管理指導所に麻酔銃班の出動を要請し、その後慎重に犬の監視を続け、約一時間後に到着した麻酔銃班(二名)が麻酔銃を黒犬に発射し、これに命中させた。黒犬はその場から逃走したが、確実に死亡したものと考えられる。

同(4)については、事故当日が月曜日で、犬管理指導所から技術員の来る日であったこと、午前九時三〇分ころ春日元町住民(田辺ではない)から通報があったこと、保健所職員が現場に赴いたが、犬を発見できなかったことは認め、野村地域から通報があったが取り上げなかったことは否認する。午前九時三〇分ころ住民から枚方保健所に野犬の捕獲依頼があり、来所中の犬管理指導所の技術員二名及び保健所予防員一名が現場に急行し、春日元町地域を探索し、技術員は午前一一時ころまで、予防員は午前一一時二五分ころまで探索を続けたが野犬を発見できず、いったん引き揚げた。しかし、その後保健所では午後一時ころ麻酔銃班の出動を要請したうえ、再び探索を開始し、同二時四〇分ころ麻酔銃班二名が到着したので、保健所予防員一名と麻酔銃班一名が一組になって二組を編成し、分かれて探索を続行した。同三時ごろ、春日北町五丁目付近の休耕田で二頭の犬を発見し、更に接近して黒色大型犬・茶色大型犬・白色中型犬の三頭を確認し、犬が逃走を始めたので麻酔銃班の一名が黒色大型犬に発射し、命中させた。同犬は逃走途中に倒れた。

そして、他の逃走犬を追っていた麻酔銃班一名が倒れている麻希子を発見したものである。

(四)の主張は争う。

4  請求原因4(損害)はすべて争う。

5  本件においては、原告らの主張するような危険の切迫性はなかったし、右切迫性が相当の蓋然性をもって予想できる状況にもなかった。又、仮にそうではないとしても被告としてはその課せられた作為義務を尽くしていたものである。すなわち、

前記のとおり、本件事故発生地域においては、枚方保健所の予防員・指定職員は田辺豊浩の咬傷事故が発生して以降野犬探索活動を続け、同月一五日には右咬傷犬である黒犬を射殺し、更にそれ以降も探索を行い、本件事故発生当日である同月一九日には午前中から捕獲作業を展開していたのである。

このように、枚方保健所において犬関係業務の主力となる予防員・指定職員の業務遂行の過程で、その職務を懈怠したなどと言える事実は皆無であり、このことは、犬管理指導所の予防員に関しても全く同様である。むしろ、この者らは、自己に与えられた職責を全うするために最大限の努力を払ってきたものである。

また、確かに、本件事故発生の直前の昭和五八年一二月に入って田辺豊浩及び田辺勝利の咬傷事故が発生していたが、同月一五日、黒犬を麻酔銃で射殺しているのであり、予防員らの主観においてはもとより客観的にも更なる咬傷事故発生の切迫性はなくなっていたのであるから、被告に作為義務が発生していたとすることもできない。

第三  証拠<省略>

理由

一請求原因1のうち、原告らの長女麻希子(昭和五四年五月一七日生)が、昭和五八年一二月一九日午後三時ころ枚方市春日北町五丁目所在休耕田内で死亡したことは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、麻希子が死亡した原因はその直前に前記休耕田付近を近所の子供阿南友起(当時四歳)と二人で歩行中、野犬三頭(茶色成犬一頭、胸が白い黒色成犬一頭、白色成犬一頭)に襲われ、頸動脈に達する左頸部咬傷を含め頸部から両膝部にかけ全身に約二〇〇か所の咬傷を負い、出血多量に至ったためであることが認められる。

二更に、<証拠>を総合すると次の各事実を認めることができる。

1  本件事故現場から約一キロメートル離れた枚方市春日元町二丁目付近では遅くとも昭和五七年ころから群をなした複数の野犬が徘徊しており、その中には群の中心的存在であった茶色で鼻の周りが黒い大型の成犬(通称ボス)や黒色で胸が白い大型の成犬などがいた。

2  昭和五八年一二月七日ころ、同市春日元町二丁目三九番一七の田辺泰雄方付近において、同人の次男豊浩(当時五歳)が前記胸の白い黒犬に臀部を咬まれ、内出血の怪我をした。そこで、翌日豊浩の母節子が枚方保健所に葉書で前記野犬らが徘徊し、右野犬による咬傷事故が起ったことを付近の地図を書き添えて連絡した。

3  枚方保健所職員で予防員である淡野輝雄は右葉書を受け取った翌日の同月一三日に田辺節子に面会し、事情を聴取した。その結果、野犬捕獲の必要性を認めたが、その方法としては捕獲檻及び薬殺が適当と判断し、更に捕獲檻の設置場所は田辺方の裏の畑がよいと思い、田辺節子に対し右畑の所有者から檻設置の同意を得るよう依頼した。

4  同月一五日、前記田辺方付近において、今度は同人の三男勝利(当時四歳)が前記通称ボスと胸の白い黒犬に襲われ、頭部と頸部を咬まれ負傷した。右傷は二一針の縫合(頭部一七針、首後部三針)を要するもので、傷がもう少し深ければ致命傷になるという程度の重傷であった。この咬傷事故発生は、すぐさま近隣の者から枚方保健所に対し通報がなされ、淡野外一名の職員が現場に急行したが、到着時前記二頭の野犬は田辺方から南へ七〇ないし八〇メートル離れた休耕田内に寝そべっていた。その際近隣の者から咬傷事故を起こしたのは黒犬である旨の説明がなされた。淡野らは周囲の状況からみて麻酔銃による捕獲が必要と判断し、犬管理指導所に対し麻酔銃班の出動を要請した。

しばらくして麻酔銃班の斎藤と野嵜俊一が現場に到着し、淡野らと相談の上、二人で近付くと野犬に逃げられる怖れが強いため、斎藤が近付いて、淡野から事故犬であると説明のあった黒犬を射撃することにした。斎藤は野犬に約八メートルの距離まで近付いて黒犬に向けて麻酔銃を発射したが殺すには至らず、二頭の野犬は逃げ出し、職員らはこれを追いかけたものの途中で見失った。

しかし、淡野らは、銃を発射した時の状況や回収した麻酔銃の弾(注射器)内の薬液が全部外部に出ていること等から、黒犬は確実に死亡していると考え、田辺節子にもその旨説明し帰所した。その後淡野は枚方市に隣接する四条畷保健所にも茶色の犬の探索捕獲と黒犬の死体の探索収容を依頼した。

翌一二月一六日(金曜日)午前九時四〇分ころ、淡野は四条畷保健所に連絡し、前日依頼した犬の発見について問い合わせたが発見されていないことが判明したので、住民の情報のもとに、犬・猫の死体を収容する枚方市衛生総務課分室に情報を入れてくれるよう依頼した。更に同日午後一時三〇分ころから三時一〇分ころまで淡野は右野犬探索に出かけたが、発見できなかった。右一六日には、右の作業以外にはこれといった野犬捕獲作業はなされていない。

5  同月一七日(土曜日)、田辺泰雄から枚方保健所に対し、自分の友達から、野村南町所在の春日神社(原告方から数百メートルの距離にある。)において茶色、黒色、白色の三頭の野犬を見かけたと聞いたが、勝利を咬んだ野犬ではないかとの電話による通報があった。応対した淡野は、勝利を咬んだ黒犬は多分死亡しているはずであり、咬傷犬ではないと思う旨回答したが、とりあえず、衛生課長の鈴木と共に右神社周辺に赴き、同日午前一〇時五〇分ころから午後一二時一五分ころまで探索したが、野犬を発見することはできなかった。

同月一八日(日曜日)には、野犬捕獲ないし探索作業は全くなされていない。

6  同月一九日は犬管理指導所から枚方保健所に技術員が来所する日(定例捕獲日)で朝から二名の技術員が来ていたが、午前九時三〇分ころ、田辺方の近所に居住している曽根という女性から枚方保健所に野犬がいる旨の電話通報があり、枚方保健所から田辺方に電話すると、先日勝利を襲った二頭(ボス及び胸が白い黒犬)が今いるとのことであったので、淡野と二名の技術員が現場に急行した。しかし、既に犬はおらず、午前一一時ころまで三名は春日元町、春日西町、野村南町等の地区の探索を続けたがやはり発見できず、技術員二名は次の業務先へと向かった。淡野もその後探索を打ち切り帰所したが、枚方保健所では午後一時になってから鈴木の判断により野犬の徹底捕獲を期して犬管理指導所に対し麻酔銃班の出動を要請した。

午後二時四〇分ころ麻酔銃班の斎藤及び多井洋介が到着し、鈴木と多井、淡野と斎藤の二班にわかれて野犬の探索を続けた。

午後三時ころ淡野と斎藤が春日北町五丁目所在の休耕田内に犬を発見し、両班は合流して、東西から犬を挾み撃ちにすべく捕獲態勢に入った。

そのころ犬は茶色で大型の成犬、黒色で胸の白い大型の成犬、白色で中型の成犬の三頭であることが確認できた。斎藤がそのうちの黒犬に対して麻酔銃を発射して射殺し、更に逃走する他の犬を皆が追っていたとき、多井が既に死亡している麻希子を発見した。

7  同日午後三時四〇分ごろ、枚方保健所は事故現場付近の住民に対し、広報車を使用して、野犬による咬傷事故が発生し、まだ野犬が逃走している旨を広報した。しかし、前記のとおりこの日までに田辺豊浩及び勝利の咬傷事故が発生していたが、このように咬傷事故の発生については枚方保健所から広報車を使用する等の広報活動は全くなされなかった。

その後も日没まで他の枚方保健所員や犬管理指導所職員が応援に加わって逃走した犬の探索が続けられた。

8  枚方保健所では、本件事故現場付近で、翌日の二〇日から二日間特別体制による野犬捕獲作業を行った。すなわち、翌二〇日には三ないし四人を一班とし五班編成で野犬の捕獲作業を行い、その翌日の二一日にも三ないし四班編成で作業を行った。その結果、本件事故を起こした白色の中型成犬は二〇日にワッパで捕獲され、茶色の大型成犬も同日麻酔銃で射殺された(死体はその数日後には付近の古井戸の中にあることを付近住民が発見しており、淡野らも翌昭和五八年四月一七日に右死体を確認した。)。これらを含め一二月二〇日だけで一三頭の犬が捕獲され(その中には飼い犬もいた。)、結局この捕獲作業により一九頭の犬を捕獲した。

三前記認定に反して、被告は一二月一五日に田辺勝利を襲った黒犬は確実に死亡していると主張し、同人を襲った野犬と麻希子を襲った野犬の同一性を争っている。そして証人淡野及び同斎藤の各証言中には、田辺勝利を襲った黒犬は中型で白い部分が認められなかったのに対し、麻希子を襲った黒犬は大型で胸と右前肢に白い部分があった、田辺勝利を襲った黒犬に対して発射した麻酔銃の針は犬に当たっており、現に回収した針の先に血液の付着があった、当たれば必ず致死量の薬剤が犬の体内に注入されるはずであるとの供述部分があり、証人田辺の証言中にも胸の白い黒色の犬の外に真黒の犬が徘徊していたこともあったとの供述部分がある。

しかしながら、同時に証人田辺は勝利を救うべく野犬に約一メートルの距離まで近付いたが、襲った犬は通称ボスと胸の白い黒犬であった旨断言しており、更に一二月一九日に麻希子を襲い射殺された黒犬を同日夜のテレビニュース中の映像で見たが、勝利を襲った犬と同一であったと供述している。そこでこの供述と前記淡野及び斎藤の各供述の信用性を比較してみる。

まず証人淡野及び斎藤の各証言を総合すると一二月一五日に淡野及び斎藤が犬を捕獲すべく近付いたとき二頭は寝そべっていて両名には背中部分が見えただけであること、斎藤が最も近付いたときでも犬との距離は約八メートルはあったこと、両名は麻酔銃発射後犬を追い掛けた際犬の全身を見てはいるが比較的短時間であったこと等が認められ、これらの点から考えると同証人らが右の黒犬の姿・形あるいは色等を正確に確認しえたかはかなり疑わしい(現に証人淡野は、「一九日に射殺された黒い犬と、一五日の黒い犬との比較についてどのように考えているか。」との被告復代理人の質問に対し、「一言で言って、わからない。」とも答えている。)。これに対し証人田辺は犬を最も間近に見たものであって供述の内容にも迫真性がある。また、麻酔銃の針が犬に当たれば薬剤が必ず注入されるとの点についても、淡野や斎藤らの経験からくる認識に過ぎず、もとより銃の構造上薬剤の注入に失敗することが全くあり得ないことを意味するものでないことは明らかである。

のみならず、証人淡野、同斎藤の各証言によると、麻酔銃の針が犬の身体に命中し薬液が注入されておれば、運動機能が低下し、逃走したとしてもせいぜい1.5キロメートル程度逃げるのが限度であることが認められる。ところが、右射撃直後淡野らが自ら、あるいは隣接する保健所に依頼する等して右黒犬の死体を探索したにもかかわらず、これを発見できなかったことは前記のとおりであり、しかも、麻希子の咬傷事故の翌日の一二月二〇日から二日間の特別体制による野犬捕獲作業等がなされたにもかかわらず、今日に至るまで被告が確実に射殺したと主張する黒犬の死体が発見されていないことは当事者間に争いがないのである。これら諸点に照らすと、田辺勝利を襲った黒犬と麻希子を襲った黒犬が同一であった旨の証人田辺の供述は信用できるものというべきである。右黒犬と共に麻希子を襲った茶色の犬についても大きさや雑種である点が共通しており、同一の黒犬と一緒にいたと認められること、二つの事故現場が近いこと等から淡野らが一二月一五日に取り逃がした茶色の犬と同一の犬と認められる。

他に第二項の認定事実に反する証拠もない。

四以上認定の各事実を総合すると、麻希子が三頭の犬に襲われて死亡し、加害犬がいずれも条例八条にいう「野犬」に該当することは明らかである。

原告らは、本件事故は、大阪府知事が条例上の権限に基づき、野犬取締体制を充実させ、捕獲・掃討等の適切な措置をとる義務があったのにこれを怠り、放置していたことにより生じたもので、この不作為による違法は地方公共団体である被告の公権力の行使にあたるから、被告は本件事故による損害を賠償すべきであると主張する。

そこで、大阪府知事の作為義務の有無、したがって右作為義務違反による不法行為の成否につき検討する。

大阪府における犬の取締に関する法令には、狂犬病予防法と大阪府「飼い犬の管理に関する条例」とがあり、狂犬病予防法は、狂犬病の発生の予防、まん延の防止、撲滅により公衆衛生の向上及び公共の福祉の増進をはかる旨を規定していること、条例は「犬による人畜その他への危害………を防止し、もって府民生活の安全及び公衆衛生の向上に資することを目的とする」(条例一条)と規定していることは当事者間に争いがない。

更に、条例七条は「知事は、第二条の規定に違反して係留されていない飼い犬があると認めるときは、その犬を捕獲し、抑留することができる。」。同八条は「知事は野犬(飼い犬以外の犬をいう。)が人畜その他に危害を加えるおそれがあり、かつ通常の方法によっては捕獲することが著しく困難であると認めたときは、区域及び期間を定め、薬物を使用して野犬を掃討することができる。」とそれぞれ規定し、これらの業務を狂犬病予防員の外、指定職員を任命してあたらせていることにも当事者間に争いがない。

これによれば、大阪府知事には係留されていない飼い犬はもとより、野犬を捕獲、抑留する権限があることは明らかである。

ところで、ある事項につき行政庁が法令により一定の権限を与えられている場合に、その権限を行使するか否か、また、どのような方法でこれを行使するかは、当該行政庁の裁量に委ねられているのを原則とする。しかしながら、具体的状況に応じ、予想される危険が大きければ大きいほど行政庁に認められた裁量判断の幅は狭められていき、そして、①人の生命、身体、財産、名誉などへの顕著な侵害が予想され、②行政庁が権限を行使することによってこうした危険を容易に阻止できる状況にあり、③具体的事情のもとで右権限を行使することが可能であり、これを期待することが可能であって、④被害者側の個人的努力では危険防止が十分に達成されがたいと見込まれる事情があるときには、その権限を行使するか否かの裁量権は後退して、行政庁は結果の発生を防止するために右権限を行使すべき義務があるものとして、これを行使しないことは作為義務違反に当たると解するのが相当である。

そこで、進んで本件において大阪府知事にはたして前記の権限の不行使があったといえるか、またそれが右の条件に照らして作為義務違反に当たるかどうかについて判断する。

1  弁論の全趣旨によれば、昭和五八年当時大阪府下(大阪市、堺市、東大阪市を除く。)には野犬を含む約三万頭の未登録犬がいたと推定され、同年度の同地域における野犬を含む飼い主不明の犬による咬傷事故の発生件数は二三五件であったと認められる。更に、本件事故の発生現場からさほど遠くない田辺方周辺において、昭和五七年ころから通称ボスや胸の白い黒犬などの複数の野犬が徘徊しており、昭和五八年一二月に入ってから田辺の子らが相次いでこれらの野犬に襲われたことは前記認定のとおりである。しかも、田辺の子らを襲った野犬は日頃付近を徘徊している犬であったこと、二件の咬傷事故の日時が接着していること、いずれも幼児が襲われており、田辺勝利の場合は頭部や頸部を咬まれていたため救出が遅ければ落命の可能性すらあったこと等からすると、田辺方周辺を徘徊していた通称ボスや胸の白い黒犬などの野犬の群は昭和五八年一二月ころ何らかの事情で狂暴化していたと考えられるのであって、これらの事情を総合すると、本件事故当時、本件事故現場を含む枚方市春日地域及びその周辺には通称ボスや胸の白い黒犬などの野犬群の咬傷によって幼児等が襲われ死亡等の結果が生じる高度の危険性が存在していたと認めることができる。

また、田辺豊浩、同勝利らの咬傷事故はいずれも枚方保健所に通報されていたのであるから、右危険性は知事においても十分認識していたものと認められる。

2  野犬は生殖のみならず住民の捨て犬によっても増加するものであって、住民の意識が改善されない限り捕獲等を繰り返しても野犬全体を撲滅することが極めて困難であることは明らかである。しかしながら、特定の地域を徘徊している特定の野犬群を捕獲、抑留ないし掃討することは別問題であって、殊に本件の場合には前記認定のように本件事故の翌日には加害犬(一頭は当日射殺)はすべて捕獲ないし射殺されていることなどからすると、これは知事が権限を行使することによって容易に達成できたものと考えられる。そして、本件の場合、通称ボスや胸の白い黒犬を含む野犬群の捕獲等が事故前になされておれば、この事故は防止できたと考えられる。

3  そして、本件事故の発生前にこのような捕獲等を行うことが困難であったと認められるような事情はない。すなわち、田辺勝利が事故にあった一二月一五日と本件事故のあった同月一九日の間には三日間あるが、証人鈴木及び同淡野の各証言によれば同月一六日及び一七日にも淡野らが野犬の探索に出かけてはいるものの、本件事故後のように複数の班を編成して捕獲作業にあたったり麻酔銃班の出動を要請したりすることはなかったと認められる。ところで先の認定によれば本件事故の翌日だけでも一三頭の犬の捕獲ができたというのであるから、右田辺勝利らの事故の重大性と危険性を認識してその気になりさえすれば本件事故を惹起した野犬群を捕獲等するのに三日間という時間は十分であったというべきである。他にこの間の捕獲作業を困難ならしめるような事情があったとも認められない。

したがって、本件事故前に捕獲等を行うことは十分可能であったと認められる。

4  最期に被害者側の努力で本件事故を防止することが容易であったかについてみるに、野犬の捕獲、抑留ないし掃討は組織的かつ計画的に行わなければならないものであるうえ、実施の過程では他人の所有地への立入など利害の交錯を生ずることがあるから、個々の住民が行うことは困難であり、どうしても知事の権限行使に期待せざるを得ないと考えられる。したがって、被害者側の防止策として現実的なものは、野犬の徘徊しそうな地域への外出を控える、特に幼児の外出には注意する、という程度であるが、この策に限界があることは明らかである。

しかも、原告得田吉喜本人尋問の結果によれば、原告方周辺では野犬を見かけることはほとんどなく、田辺勝利の事故についても広報がなかったため原告らは本件事故前には知らなかったことが認められ、このような状況においては麻希子の両親である原告らに対し事故の防止策を期待することは困難であったと考えられる。

以上認定の事実によれば、本件事故は田辺豊浩、同勝利らの咬傷事故に引き続いて、これと一連のものとして発生したといってよいものであるところ、本件事故は、事故後に行ったと同じような捕獲作業を田辺勝利の事故発生直後にすみやかに行ってさえいれば、発生を確実に防止することができたとみられるのであり、しかもこのような捕獲作業を困難ならしめる障害があったとか、捕獲等にかかわらず本件事故が発生したであろうと認められるような事情も見いだすことはできない。そして、事故の防止には、知事の捕獲等の権限行使に期待するしかなかったことをあわせ考えると、結局知事は条例によって認められた野犬の捕獲、抑留ないし掃討の権限を適切に行使しなかったといわざるを得ないのであって、ここに作為義務違反があったというべく、少なくとも過失は免れないと認められる。よって、被告は本件事故によって生じた後記損害を賠償すべき義務があると解するのが相当である。

五損害額について検討する。

1  麻希子の逸失利益

麻希子が昭和五四年五月一七日生まれの女子で、本件事故当時四歳であったことは、成立に争いのない甲第一号証から認められるところ、昭和五七年簡易生命表によると、四歳の女子の余命が76.26年であることは弁論の全趣旨から認められるから、麻希子は少なくとも一八歳から六七歳までは就労可能であって、この間女子労働者の平均収入に相当する収入を得ることができたと考えられる。そこで、当裁判所に顕著である昭和五七年賃金センサスの産業計・企業規模計・女子労働者一八歳の平均収入に基づき、かつ、収入の二分の一の生活費を要するものとして、麻希子の得べかりし利益の現価を新ホフマン式により計算すると、一二七一万六六六九円になることが認められる。

(計算式)

1,438,700(年間所得)×(1−0.5)×17.678(ホフマン係数)≒12,716,669

そして、原告らが麻希子の両親として同女の権利義務を各二分の一ずつ相続したことは、前掲甲第一号証によって認められるから、原告らは右損害の二分の一である六三五万八三三四円ずつを取得したことになる。

2  原告らの慰謝料

<証拠>を総合すると、本件事故当時原告らには麻希子のほかに長男直喜(当時九歳)があり四人家族で幸せな毎日を送っていたことが認められ、幼い同女が野犬によって多数の咬傷を受けるという悲惨な事故によって死亡したことで原告らが著しい苦痛を被ったことは想像に難くない。

一方、前掲原告本人尋問の結果によれば、原告らは本件事故当日の午前中から事故時まで麻希子を大人の付き添いなしに戸外で遊ぶに任せていたことが認められ、本件事故そのものも原告らによってではなく府職員によって発見されたのは前記認定のとおりであって、その間原告らが特に麻希子の行動に気を配っていたような事情や、あるいは事前に遊び場となる場所の安全性を具体的に点検していたような事情は証拠上うかがわれない。このような原告らの態度は、麻希子が四歳の幼児であって身を守る能力に欠けていることを考えると、いささかうかつといわざるを得ない。また、前記認定によれば、本件事故現場から約一キロメートルとそう遠くない田辺方付近では野犬の危険性が住民によって十分認識されていたのであるから、原告らとしてもその危険性を知る機会をもち得たのではないかとも考えられる。

その他、本件事故は知事の積極的不法行為によるものではないこと、本件事故は枚方保健所が麻酔銃班を呼んで野犬の捕獲にかかろうとしていた矢先の事故であって全く手をこまねいていたわけではなかったこと、前記認定の逸失利益金額等本件にあらわれた諸般の事情を総合考慮すると、原告らの苦痛を慰謝するには、各金一〇〇万円をもって相当と認める。

3  葬儀費用

弁論の全趣旨によれば、麻希子の葬儀費用は原告ら主張のとおり金五〇万円をもって相当とし、原告らが二分の一ずつの各金二五万円を負担したと認めるべきである。

4  弁護士費用

弁論の全趣旨によれば、本訴を遂行するための弁護士費用としては各原告につき前記損害額の合計の一割程度である金七六万円をもって相当とする。

六以上の次第で、原告らの本訴請求は、それぞれ前記損害額の合計である各金八三六万八三三四円及びそのうち弁護士費用を除く各金七六〇万八三三四円に対する不法行為の日である昭和五八年一二月一九日から完済まで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める範囲で理由があるからこれを認容し、その余の請求は失当として棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、仮執行免脱宣言につき同条三項をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官井筒宏成 裁判官高橋文仲 裁判官坪井祐子)

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